2013年1月20日日曜日

どうなる伝統構法!? 『検討委員会VS日本建築学会』



建築基準法において伝統構法をどう位置付けるか。
2012年末からそんな議論が再燃しています。

  最大の焦点は「石場建て」で、検討委員会が「一つずつ実験で

 検証した設計法で、実務者の使いやすさを重視した」と話す、3

 種類の設計法はいずれも「石場建てとすることできる」としてい

 ます。それに対して、日本建築学会は「構造設計について本来あ

 るべき道筋を示すという点に主眼を置いた」と記し、「原則とし

 て石場建てを認めない」という方針です。

  はたから見れば、検討委員会が規制緩和寄りの新たな設計法を

 打ち出したのに対し、学会が「従来の設計法の運用改善で十分」

 と異を唱えた格好のようです。

                 (参考:匠の一冊)




2013年1月10日木曜日

BARCELONA 2013


久しぶりにスペイン・バルセロナを訪問することになりました。
今回の目的は、アントニオガウディーがまだ学生だった頃、バルセロナ郊外のマタロと言う町で木造アーチを使った工場を設計し、実際建っていることをガウディー研究家・田中裕也氏に教えていただきました。はじめはガウディーが木造?と全く意味不明だったが。木造なら俺がやる、、、、と言うことで、奥さんと一緒にメジャーとスケッチブック持って出かけてきました。


2013年1月2日 深夜1:30羽田発ーーパリシャルルドゴール空港  (12.5時間)

羽田空港から国際線で出国するのは初めてだが、気分的な問題か近くて気軽だ、まして深夜1:30に離陸できる空港は便利だと思う。少し早めに付いたのでVISAの待合室でのんびりと過ごすことが出来た。

ボーイング777-200型で機内は3-3-3の配列、私たちの席は通路に挟まれた2席なのでトイレに行くにも気軽だが窓側の2席は、出入りが大変でトイレも我慢せざるを得ないだろうと、他人事ながら心配してしまう。

エコノミーながらちょっと広くなったかなと思うくらいの広さなので、私以外の通常の体型の人であれば特に問題ないスペースなのかもしれない、1人1台のモニターもあり、オンデマンドビデオも沢山の中から選ぶことができ、飽きることはない。

食事は2回、乗ってすぐと着陸前2時間前くらい、食事には期待をしていないが、パリ便と言うこともあり、日本とフランスの融合を意識したメニューであった。ワインのボトルが樹脂製であった。








シャッルルドゴール空港はターミナル1に到着、延々と歩きシャトル電車にのってターミナル2に到着、空港は沢山の人のためトランジットとは言え出国審査パスポートチェック?の行列を規制していた。


やる気のなさそうな態度の悪い審査官にはんこうを押してもらい次にはボディーチェック、列に並んでいるとおじさんも、お姉さんもすべての金属をトレーに出し、履いている靴を脱ぎトレーに入れている、そしてゲートをくぐるのだが、かなりの割合で金属反応があり、再度金物類を出してゲートをくぐるという慎重さ。

実は私も1回目はベルトが反応して、2回目のトライでゲートを通過することができました。

EUという1つの国であるが故に厳しいチェックなのだなと、反面安心感を感じました。ターミナル2ではバルセロナへの乗り換えに約3時間時間つぶし、その間に、「宮大工千年の知恵」と言う本を読むことができました。

登場時間が来るもバーコードの読み取り機が悪いのかチェックインにはかなりの時間がかかり30分遅れくらいの出発でした。

パリーバルセロナ間は3-3の中央通路、窓側の席は空席だったので離陸後早々に奥さんが移動してピレネー越えをの様子を眺めていた、着陸はかなり機体が揺れて怖かった。






空港からホテルまではタクシーを使った料金は36ユーロ(料金25ユーロ+トランク使用・スーツケースが10ユーロ)だがホテルの真ん前でおろしてくれたので4ユーロはチップとして渡した。






コロンにチェックインしたのが13:00頃なので、部屋には入ることができずまずは目の前のカテドラルを散策・ランブラス方面に行き市場を見学。



 






相変わらず沢山の人、場内の5-6カ所はあるバルは何処も満員、市場に面した生ハム屋さんで3年熟成のハモンハブーコとビールを引っかける、沢山の生ハムとパンで19ユーロ(確か生ハム10ユーロ)で大満足。








ホテルは旧市街地区にあるので道は入り組んでいてなかなかたどり着かなかった。

無事部屋に入り、スーツケースから田中さんのおみやげ(食品中心)を取り出したり、家電製品の充電をしようと思いコンセントを差し込むと一瞬火花が散り部屋は真っ暗、ちょっと焦げ臭い。

やっちまった!! 荷造りの時最後に入れ替えたコンセントタップが200v.には対応していなかった。フロントに電話してブレーカーを入れてもらった。



田中裕也氏と電話で連絡が取れて、サクラダファミリア見たか?とのことで早々地下鉄に乗り行ってみた。入場の行列に加わったが、すでに6時近かったため入場を断られた。



そのため周辺の土産物屋を覗いたりしてひと回りした。

途中受難の門側の公園では地元のおじいさんたちが鉄の玉を投げる競技をやっていた。
ペタンクとか言うゲームらしい。




再度地下鉄に乗り、バルセロネータで降り夕食のレストランを探すことにした。

大通りを歩いていると、歩道上部には魚介のLEDサインがつり下げられ、歩道に張り出したレストランがぽつぽつ並んでいる、その中にGAMBA2、GAMBA1と言うレストランを発見、私が初めて来た時、整備前のバルセロネータの埠頭に立つ食堂街でGAMBA1・GAMBA2・GAMBA3とお店が並び、エビ・ムール貝をたらふく食べた記憶がよみがえった。






夕食はGAMBA2というレストランで2人で約¥5,000 カバ(発泡白ワイン)を1ボトル、カラマレスのフリット、メヒジョネスの漁師ソース、海老のオイル炒め シーフードパエリアで50ユーロでおつりが来ました。
28年前とは違い、盛りつけもおしゃれになり味もソースを絡めたり食堂ではなくレストランとなっていました。



食事を終えホテルまでの帰りは徒歩、とにかく町歩きが優先です、途中HOT SPARに立ち寄り水・コーラ・ビールを買って帰った。








現地時間は21:00でしたが眠くてふらふらでしたがお風呂に入り、かみさんが風呂に入っている間に深い眠りに入っていった。




2013年1月3日 BARCELONA AM4:00起床

睡眠時間を考えると少ないが頭はすっきり、確かに日本はすでに12:00なのだから。テレビをつけるともちろんスペイン語のオンパレード。

この時間音楽番組がほとんどで後はテレビショッピング、日本でも見たことのあるスチームクリーナーをやっていた。ch3はカタリューニャのテレビ局、言葉もスペイン語ではなくカタリューニャ語で放送している。たぶん。

朝食は7:00~ レストランでアメリカンブッフェ
食べ物は豊富だ 他種類のソーセージ・ハム 目の前で丸ごと絞るオレンジジュース、特にクロワッサンの味は美味かった。日本人旅行客も2組ほど会った。





9;00に田中さんより電話があり10:00にホテルのロビーで会うことになった、それまで時間があるので近くにある、サンタ・カテリーナ市場に向かった、ホテルから市場を見るとセル屋根に派手に塗装がかかっているようなたたずまいに見えた。




近くに寄ってみるとだんだんとその建物自体がおもしろいことに気がついた。多株木の幹のように立っている柱、木造大断面の貼り、木の小幅野地板、木製の開口枠、とりあえず中に入ってみるとサンホセ市場とは違い近代的な面白みがないとも言うかもしれないが、お店のブースが入っている。














市場をすり抜けて反対側よりファサードを見ると別の発見があった。集合住宅の開口部だ 目隠しとたぶん日よけも兼ねた木製のブラインドだ、今回意識して見ていたので大変参考になった。








地下駐車場:バルセロナの中心部に日本のようにコインパーキングは存在しない、大きな広場の地下が駐車場になっている。

宿泊したホテルコロン前のカテドラル前広場の地下も駐車場となっていた。その後向かったマタロという町も公園の地下が大駐車場となっていた。

こちらの地盤は岩盤で地下水位も低そうなので、地下構造物の工事費が安く上がるんだろうなと思う、日本で地下を駐車場にとなるとかなりの工事費になってしまうので、単独で駐車場を作るのではなく、建物と一緒に地下駐車場を作るというのが一般的発想なのかと思う。

バルセロナから、30分田中さんのベンツに乗せてもらい、マタロという町に向かった。

今回のメインの目的マタロ共同作業所の実測のためだ。

前述のようにマタロ中心部の公園下にある駐車場に車を止め、徒歩で目的地に向かった。







実測も終わり、車でバルセロナに帰る、途中田中さんが以前設計した画家パコのおうちを見学させていただいた。特徴は屋根、カタルーニャボールとだ25mmの薄レンガを漆喰モルタルでつないでいく工法だ、工事中の写真を沢山見せていただいた。


見事なアーチだ、パコの奥様も自慢げに工事中の写真を見せてくれた。






日本では見たことのないガスストーブにミョウに惹かれてしまった。
日本じゃこんなでっかいガスボンベ室内で使えないでしょ!



ちょっと遅い食事を、ガウディーの仕事の構造パートナーであったジョアン・ルビオ・イ・ベルベルJoan Rubió i Bellverさんの設計したレストランASADOR DE ARANDA. BARCELONA
で「子羊の丸焼き」をいただいた。羊料理ではバルセロナ壱の有名店らしい。私は料理も興味有るけどそれ以上に建物が気になってしまった。





田中さん、ごめんなさい、ワインいただきます!




オーブンでゆっくりと時間を掛けて、ほろほろになるくらい焼かれています。





揚げパンと、ジャスミン茶のようなお茶。










食事も終わり田中さんオフィスを訪問した。バルサスタジアムの近くにあり、以前は家族の住宅として使われていた。




お茶を頂き、トラム(市電)に乗り大学施設内を通り、ドラゴン(竜の門)を見学しに向かった。







この時点で私はかなり足に来ていた、田中さんの歩きの早さは容赦ない、ついて行くしかないのだ。

その後、サッカークラブバルセロナの本拠地を見学に向かう、もちろん歩きで、スタジアムに到着するがすでに真っ暗、スタジアムの見学はできないが、バルサショップに入ってみることにした。とにかく広い、お客さんも沢山だ。正直言ってバルサファンではないので、メッシのユニフォームもあまり興味はない、しかし奥様のマフラーを購入した。





さすがに遅い時間になったので、この辺で田中さんとお別れすることにした、近くにバス停があり、54番に乗りなさいそうすればホテルの近くに行くよとだけ言われてバイバイ!。言われたとおり54番に乗り込み何となく港の方に向かっているかなという期待だけ、なんだかわからずiphoneのマップも上手くGPSが動作せず。30分以上も乗車しエイヤで降りたところが割とホテルに近かった。晩ご飯はどうするか?奥さんと相談するが2人とも疲れた、早く風呂入って寝たいと言うことで、近くのコンビニで水・ワイン・チーズ・ハムを買ってホテルで夕食をすることにした。

しかしホテルのお風呂はカーテンがない、体を洗うのもそうだが髪を洗うのも注意しないとバスルームがびしょびしょになってしまう。


2013年1月4日 BARCELONA AM4;00起床                           
早く寝たおかげと、時差ぼけで朝4時起床、バルセロナの早朝テレビ番組は音楽番組のみ、しばらくするとニュース、でもなんかスペイン語とは違う、このチャンネルはカタリューニャ語による放送だったことがわかった。 


朝食たち、コーヒーとクロワッサンは最高に美味しかった。





チーズ達

サラミとハム・そして生ハムもあります。
唯一の野菜?トマトは、そのままでもいいんだろうけど、パンに塗りつけて食べるらしい。


なんだか得体のしれないもの、フルーツです。


これはオレンジ専用ジューサー上部にオレンジをセットしておくと皮をむき絞ってくれる。



で、結局このくらいは食べてしまう。


7;00朝食 今朝も3人組の家族が朝食を一緒にした、彼らは明日フランクフルト経由で帰るそうだ、すでにマドリッドに4泊していてAVEでバルセロナに入ったようだ。
息子は30前?母は夫のことをパパと呼んでいた。

8:45 地下駐車場に入らず駐車場の入り口で田中さんと待ち合わせをした、シルバーのベンツC180 kompressorが現れる。

高速道路を南下しガウディ生誕の町リウドムスに向かう。

最初に訪れたガウディ生誕の家は河川敷の砂利敷の道を走ってたどり着く、しばらく写真を撮っていると、所有者夫婦が車で現れた、田中さんは顔見知りらしく、奥さんがなにやら、まくし立ててしゃべっている。




ビデオを撮りました。

でっかい木がでんと立ちすくんでいます、夏は完全に木陰となり涼しいだろうな。



後で内容を聞いたら、ガウデー生誕150周年記念の時には道も整備したが今は役所もお客さんを案内してやってくるが、全く整備をしてくれない、。と訴えていたようだ。




ガウディー生誕150周年記念のプロジェクトで田中さんが広場を設計されたgoogleアースでも見ることはできるが大きな広場だ ガウディーの研究で見いだされたベンチ・水琴窟・噴水・桜 など見せ場が沢山だ。

田中さん設計のベンチ組み合わせでグエル公園のベンチのような楽しさがある。


夕方になると噴水により、重い石が浮き上がると言うことだが、見ないと信じない性格なので、再度訪問しなければならないな。


水琴窟 確かに聞こえる。




gaudiの家族の家・作業場を再現した建物がが町中にある。
ここは町の観光課が管理している、生活ぶりが再現されている。3階には田中さんの研究作品の常設展示場となっている。








3階は田中裕也の実測図面の常設展示場となっている、しかしオリジナルのでっかい図面を展示するだけのスペースはないので縮小版を展示している。





ここにガウディさんの映っている一枚の写真がある、ガウディの義勇軍の記念写真ガウディの義勇軍の記念写真だ、この後リウドムスの町中を散策しガウディの記念写真の階段で記念撮影をしてみた。


ガウディーさんは何処だ? 左上の帽子を被った髭のおじさんです。
下の階段のこのあたりに立っていたようです。



リウドムスは小粒のオリーブとヘーゼルナッツの産地であり、観光課長よりヘーゼルナッツをおみやげに頂いた。




街中で、ごみ集積所を見つけた、煙突のようなものは投入口で地下部分に集積コンテナがある。景観を守る手段の一つだ。




田中さん行きつけのカフェ、ケーキも美味しかった。


リウドムスを後にして次の目的地はガラフの酒蔵に向かう、高速道路をバルセロナに戻るようなかたちになる、途中シッチェスで高速を降り、シッチェスの町中を海岸線に沿ってガラフに向かってもらった。シッチェスはおかまさんたちが集まる町として有名らしい。


アップダウンの激しい海辺の道路を片足の自転車乗りが急な上り坂を上っていた。


標識には自転車を追い越す時には1.5m以上離れるようにとの表示がされている、流石自転車が盛んな国の法律だなと感心した。

田中さんも自転車で日本縦断をした時、国道で大型トラックに煽られて転倒し死ぬ思いをした話をお聞きした。

ガラフに到着し、写真でしか見たことのなかった、ガウディー設計の石造りの酒蔵に到着した。




建物本体もしかり、門などもこった造りだった。



石造りの酒蔵は今、レストランとして使われている。


確かにカテナリー曲線だ!






お昼は席のみを予約しておいたので、すんなりと入ることができた。

田中さんには申し訳ないが、奥さんと二人はトレスの白ワインを頂いた。



食事はPIKAPIKAというアラカルト、自分で作るパンコンデトマトは美味だった。

トーストしたパンにニンニクをすり付け、トマトを半分に切り、切り口をパンにこすりつける
塩とこしょうをお好みで振りかけ、オリーブオイルをタラーと垂らすと、美味しい!!パンでトマトのできあがり。




日本人の6人グループも食事に来ていましたが、ここまで来るとはかなりマニアックな人たちだなと思いました。


田中氏は ガオ!としているのではなく、チェーンを垂らしてアーチが懸垂曲線であるかの検証をしているのです。



コロッケ








最後は、壺に入ったオマールエビのリゾット? 美味でした。





楽しく昼食を頂いた後も写真を撮りまくりました。













ちょうど電車が通りがかり撮り鉄根性が出てしまいました。 


 昼食の食卓に出ていたオリーブオイルを1ケースおみやげとして購入した。


ガラフを後にして昨日入場できなかったマタロの作業所へ再度向かうことになった。

マタロ到着 17:00 ちょうど開演して中を調査することを承諾してもらった。



内部からの調査をさせてもらって良かった、昨晩は想像の域を脱しない疑問が、一目瞭然、すっきりした。









マタロの観光課の役人も調査に来た日本人は、貴方達が初めてだよ。と言われました。

田中さんありがとうございます。  

ホテルまで車で送ってもらい、晩ご飯を家族と一緒にどう?と聞かれたのですが、疲れているのもあるし、お腹がすいていないのもあり、お断りしてしまった。

部屋に着くなりとりあえずお風呂に入り、後は意識不明でした。 




2013年1月5日 最終日 AM5:00起床

AM7:00 ホテルで豪華な朝食をいただく。オレンジジュースとクロワッサンそしてコーヒーが美味しい。




宿泊していたホテルコロン前の広場が、日本人向けの現地ツアーの集合場所なので、ダメ元で、ミキトラベルのバルセロナ観光に当日参加できるかを聞いてみたが、NGでした。

地下鉄に乗り、サクラダファミリアへ直行、地下鉄から地上に出るとすでに沢山の観光客で入場待ち、40分くらい待って、エレベータ付きのチケットを購入して入場できた。

まずは教会内に入ってみた、前回来てから16-7年経ったことになるが、まだ途中ではあるが確かに教会としての空間はできている。








ローマ法王が訪問した時の写真や動画などで予備知識はあったが、現物は迫力が違う、2日前にカテドラルを訪れた時の感動とはまた別物だ、壁面のステンドグラスから差し込む7色の光が、樹木のような石貼りの柱に映り込み、森の中にいるような安心感に包まれる。





エレベーターは入場時に時間が決められているので、10分くらい待って塔に昇ることができた。ブリッジは渡ることはできなかった。




もちろん下りのエレベーターに乗車することもできるが、恐怖の周り階段を徒歩で下りることにした。時計回りに回りながら降りるのだが手すりなどないし、中心部は数十メートルの吹き抜けで手すりの立ち上がりもない。力が入ってしまう。


途中何カ所かバルコニーがあり外の景色を見ることができるのだが、私の場合バルセロナ流の工事現場が気になる、まあ私の知識外の仕様であることは間違いない。







地上に降りると、附属小学校が入場できるようになっていることに気づき、入場してみたもちろん無料だ、中には工事中の写真やカタリューニャ独特の薄レンガを用いた曲線構造のモデルなども展示されていた、さすがに今は学校としての機能はないようだ。

この建物、25年前に始めて見たときと建っている場所も向きも違うぞ!
田中さんに確認すると確かに移設したらしい、と言っても日本の軸組の家屋と違って曳き家は出来ないだろうし、壊して造ったんだろうな。








たっぷりとサクラダファミリアを見学し、再度地下鉄に乗り、カサバトリョやカサミラを見学し、おみやげを買いにデパート エルコルテ・イングレスに向かった。

無理とはわかってはいるが、できることなら生ハムが持って帰ることができるかもと期待をして肉屋をのぞき込む。

沢山の生ハムになった豚さんのモモが吊されている。買おうと思えば2万円もあれば買えるのだが、持ち帰る術がない。




結局腸詰めを購入することにした。奥様はデパートオリジナルのお菓子や紅茶を大量に購入していた。


町中のおみやげ屋さんで買うよりもコストパフォーマンスが高い物が購入できるのが良いなと思う。

ホテルに戻りスーツケースに土産を詰め込み、空港へと向かった。
エールフランスでチェックインするなり荷物の重量オーバーで一部を機内持ち込み手荷物とすることにし、2人で10kgのオーバーはサービスしてもらった。

空港内のレストランで遅い昼食を頂いた、ここのステーキがとっても美味しかった。


昼食後も時間がたっぷりあったので、空港内を見学、免税店で田中裕也氏のデザインした、TORRESのブランデーが売っていた、よっぽど買おうかと思ったが、機内持ち込みの荷物が多すぎて断念した。


ほぼ時間通りにシャッルルドゴール空港に到着、またターミナル内を延々と歩いて、成田便のターミナルへ移動、待ち時間は約3時間 奥さんは荷物番をしながら椅子に座って仮眠、私はターミナルの探検、3時間もあっという間に過ぎていった。




成田便も時間通りに飛び、機内では映画三昧、時々寝ながら14時間後に成田に到着。
1月6日(日)PM7:00

成田で問題発生、奥さんのスーツケースがシャッルルドゴール空港で積み残されてしまったらしい、手続きをして明日届けてもらうことになった。そういえば新婚旅行の時も英国航空でバルセロナに入ったがそのときは2人のスーツケースがガトイック空港に取り残されて、翌日ホテルに届けてもらった事を思い出した。
成田からはリムジンバスで大宮駅まで、大宮からはJRで上尾駅からは徒歩で帰宅、お風呂にお湯を入れて、冷たいビールで無事帰還に乾杯。そして爆睡でした。