2011年5月5日木曜日

2011年3月11日の記憶

2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒(日本時間)、宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は、日本における観測史上最大の規模、マグニチュード (Mw) 9.0を記録し、震源域は岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及んだ。この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.5mにも上る大津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。

そして、福島第1電子力発電所では起きてはいけない事故が起こった、日本及び世界における最大規模の原子力事故である。巨大地震及び大津波つまり天災が原因で炉心溶融および水素爆発が発生するまでに至ったのも、米国メーカー設計の原子炉容器が大きく損傷して放射能が大量に外へ漏れだしたのも、本事故が原子力発電史上初めてである。様々な要因が重なり、国際原子力事象評価尺度のレベル7(深刻な事故)に相当する多量の放射性物質が外部に漏れ出た。




その時の、私の居住地上尾市東町の記録写真を残しておく。

町内のローソン水上公園店 停電していてレジが使えない、電卓にて対応中。
電池、ローソクを求めに来るがすでに売り切れ、おむすびやカップラーメンも売り切れ



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愛宕町交差点、停電によりお巡りさんが交通整理中




当日は深夜まで停電が続いた
家族揃って夕飯となった、電気は使えないがガスレンジは使えるので
土鍋でごはんを炊いた、お焦げが美味しかった。
大変静かな夜だ、ラジオから被災地の状況が告げられていた。




3/15、建築学会の調査依頼があり、上尾市内の被害状況を調査に行った。
とわ言っても、広範囲なので地盤の弱そうな地域を中心に調査を行った。
市内に於ける被害は瓦の棟が落ちるといった被害がほとんどで、かなり危険と思われる
建物も倒壊には到らなかった。




多賀城の叔母が津波の被害に遭い床上浸水した、床上1mまで海水に浸かった
しばらくの間、上尾の姉の家に避難していたが、復旧する事は可能かとの相談を受け
4/9に調査に行った。






調査の結果、復旧は可能である事が確認できた。
しかし資材がない、断熱材を確保し、インナーサッシ・床材を用意し
4/20より4/28迄の工期にて改修工事を行う事とした。
資材はすべて上尾より搬入する事とした。










4/28日全てを完了し多賀城を離れる事になった。
工事期間中、ホームセンターにも何度か行ったが、資材の現地調達は不可能であった。
合宿生活は結構、疲れた。





まずは生活できる事が最優先、後日外壁等の改修は行う事とした。


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