2011年4月10日日曜日

宮城からの報告 1.



2011年3月11日 午後発生した巨大地震は巨大津波を発生させ東北太平洋沿岸に想像を絶するような被害をもたらせた。

その強大な波のエネルギーにより、堤防が壊され、建物が壊され、人も流され、1瞬にして1時間前の景色、生活とは全く違った物になってしまった。

御家族、友人、同僚そして家、会社、車、設備、施設を無くされた方々にはお悔やみ申し上げます。

私の叔母夫婦と従兄家族が 仙台市のとなり多賀城市に住んでいる、3.11には2件とも津波による半壊となった。従兄家族は留守にしていたので家族は無事だったが1階天井近くまで海水に浸かり4日間水が退かなかったらしい。

叔母夫婦は自宅より海寄りにある従兄の家が心配になり、見に行ったところ津波が押し寄せ、流された、幸い近くのフェンスにつかまり3時間ほど腰まで海水に浸かっていたところをレスキューに救助され病院に搬送された。

叔父は近く川の堤防に取り残されが数時間掛けて自宅に戻ったそうだ、自宅に帰っても叔母の姿が見えないので、最悪の事態を想像し放心状態のまま1晩自宅の2階で過ごした、病院の叔母から電話があり自分は無事だがお父さんがいなくなったと連絡が入った。結局2人は避難所で再開できたが、その時の状況は埼玉にいる私には息が詰まる思いだ。

叔母夫婦は従兄が迎えに行き上尾市内にいる親戚のところに暫く、住まうことになった。

3月末には東北自動車道路も一般車両が通行できるようになり、地震発生から1ヶ月経つとしている4月9日に、水に浸かった2件の修復が可能か調査に向かうこととなった。

高速道路はまだ修復は進んでおらず、白河あたりから凸凹でスピードを出すとジャンプするような状況であった。

仙台南ICから海に向かって仙台南部道路・仙台東部道路と乗り継いで仙台港北ICで下りるとすぐに目的地多賀城市だ、途中仙台東部道路を走っていると、堤防の役目となった道路の海側はテレビで見る景色そのままだ、大量のガレキ 車 木の根っこ ヘドロで覆い尽くされたかのように一面黒い。

高速道路から一般道路に下りると、大通りはだいぶ片づいたとは言えども、大量の泥 車が建物に突き刺さりあらゆるゴミが道路の両端に集積されている。

叔母の家に到着すると、従兄の家族が敷地内のヘドロの撤去と、水没した家財道具の搬出をしていた。




足元はぬかるんで、作業は大変疲れる。多賀城では津波でコンビナートのタンクが破壊され大火災が発生した、ヘドロと共に重油が大量に敷地・床下に沈殿していた、外壁内壁共に最高水位が油の汚れとしてベッタリとこびりついている。

床上1m程度まで水に浸かったようだ。床をはがして見るとどの部屋にも3cm程度ヘドロが堆積している。全ての壁は撤去が必要な状況だ。地震による建物の変形はない、浸水による被害だ。それにしてもヘドロの臭いは強烈だ。





続いてもう一件の従兄の家を訪れた、まだ床下は水に浸かっている、敷地内も地盤が陥没している箇所が多く到るところに水が溜まっている、外壁にあまり被害は見あたらないが一部壁に大きなクラックが見受けられる。

1件目の家より海に近く、天井近くまで海水に浸かり4日間水が退かなかったとのことだった。壁のクラックは本震以降に余震によって発生したようだ。過去に2階ほど大水に遭っていて床上浸水を経験しているとのことだ。

心配なのは壁内が腐っていないかだ、外壁に大きなクラックが発生していた壁の内側を剥がしてみると、断熱材(グラスウール50mm-10kg)が有るのが見えた、グラスウールの水浸し=木材の腐れ が心配でグラスウールを剥がしてみると筋かいがしろありでボロボロになっていた土台・柱共にヒバで出来ているので喰われていないが、米栂の筋かいと外壁モルタル下地の杉板は見事に食い尽されていた。しかしヒバ材の防蟻性能の強さにはビックリした。


調査が終わり、帰りがけに被害が大きかった仙台港に行ってみた、表現のしようがないくらい、全てのものが破壊されていた。車やコンテナ、貨物列車、貨物船、360度見渡せる景色が現実であると理解できない。これからどうやって復旧していくんだろう。






0 件のコメント: